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執筆者の写真Shigeru Nishikawa

健康は守るもの?いや、攻めるもの。

更新日:2020年6月5日






きょうは3年前父が亡くなったときの話を少ししてみたいと思います。



父は小さな塗料会社を半世紀自営していました。

それはそれは大変な仕事だったと思います。

手形が回らなくなって夜うなされたり、母にグチや弱音を吐き眠れない日が続いたり、そんな光景を何度も何度も見てきました。

一方でこの仕事は実際やるといいぞ、などと嬉しそうに話す父も知っていました。



草加に住んでいたんですが、亡くなる二年前、「ちょっと相談したいことがある」と言われて、

夜わざわざ僕のところまで来たんです。


一緒にお店でご飯を食べながら、父は言いました。

「実は会社を辞めようと思うんだが。。。。どう思う?」


当時80歳手前。70歳代はずっと、引退したいといい続けて、悩み、そのタイミングを持てずにいました。


父から仕事をとったら何が残るのか、というくらい仕事しかない男でしたから、わざわざ自分にそれをきく

ことの意味をその場で僕は感じていました。



「やり残したことはないの?」

「ない」

「本当にやりやり残したことはない?」

「ない」

父の顔は、ここうん十年見たことのないくらい穏やかで優しい声、そして澄んだ目をしていました。



その2年後父は亡くなりました。

せっかく会社から自由になったんだから、もっともっと旅行したりすればよいのに、そう思いましたが、

父は静かに部屋で読書などをしていることが多かったです。


医療的には腎臓がんということでした。




その数か月後、燃える男星野仙一、仙ちゃんが亡くなりました。彼は金メダルを期待されていたオリンピックでまさかの大敗。今までの栄光をひっくり返されるほどメタメタにマスコミから叩かれた時期がありました。その後楽天の監督になり初の楽天日本一、自身初の日本一制覇を成就し、名誉を再挽回します。60代半ばで、若い監督率いるパの強豪達をねじ伏せていったのですから、とてつもないエネルギーを出しきった数年だったと思います。2017暮れ「星野仙一野球殿堂入りを祝う会」が開かれ、その2か月後に亡くなりました。すい臓がんでした。



ものの見方は色々あってよいと思います。でも僕は父が腎臓がんに負けたなどとは微塵も思っていません。彼が何を見据えてたか、僕は目の前で感じていましたから。もちろん、がちゃがちゃと病院に連れまわしたりはしませんでした。だって「やり残したことはない!」のですから。



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