【このページは、治し方を書きません】
統合失調症と、オステオパシー

― からだの静けさから、はじめる ―
ここへ辿り着いたあなたは、 たぶん、たくさん検索してきた人です。
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「統合失調症 整体」
目が、疲れていませんか。
頭のなかも、たぶん。
このページには、治し方を書いてありません。
ただ、 三十数年、このしごとをしてきた者が 見てきたことを、
そのまま置いておきます。
読んで、 ちがうな、と思ったら、 そっと閉じてください。
それで、いいのです。

【「なかったこと」には、しません】
あなたに聞こえている声を、 私は「気のせい」とは言いません。
見えているものを、 「症状」という言葉だけで 片づけたりもしません。
それは、あなたにとって たしかに、そこにあるものだから。
否定から始まる関係に、 安心は生まれません。
まず、そのまま、置いておきましょう。
なかったことには、しません。
そのうえで、 からだのほうへ、 ほんの少しだけ、意識を向けてみます。
肩。 呼吸。 足の裏。
そこには、 まだ誰にも触れられていない
静けさが 待っているかもしれません。

【三十数年前、閉鎖病棟で出会った人たち】
二十代前半の私は、 精神科の閉鎖病棟にいました。
働く側として。
そこで出会った方々のことを、 私はいまも、忘れません。
鍵のかかった扉の内側で、 その人たちは おそろしいほど、正確でした。
私の機嫌を、言う前に当ててくる。 今日の天気より先に、私の心の天気を言い当てる。
「あなた、昨日つらかったでしょう」
——当たっていました。
診断名のついた人たちが、 診断名のない私より、 ずっと繊細に、世界を受け取っていた。
あのとき、思ったのです。
この感性が主役になる時代が、 おそらく来る、と。
そして今、あれから三十数年。
風の時代が始まりました。
あのときの確信は、
今も少しも薄れていません。
【自我の壁が、薄いということ】
人には、 自分と世界のあいだに、 薄い膜のようなものがあります。
「ここまでが私」という線。 自我、と呼ばれるもの。
膜が厚い人は、 外の声に、あまり揺れません。 そのかわり、細かいものも入ってきません。
膜が薄い人は、 たくさん、入ってきます。
人の感情。
場の空気。
言葉になる前の、なにか。
つらいのは、 弱いからではありません。
受け取る量が、 ただ、多いのです。
コップが小さいのではなく、 雨が、多い。
だとしたら、必要なのは 「強くなること」ではなくて——
受け皿を、少し広げておくこと。
からだを、ゆるめておくこと。
このページの終わりのほうで、 またここへ、戻ってきます。

【いま、分かっていること】
ここからしばらく、 少しだけ言葉の温度を変えます。
事実を、事実として置いておきたいので。
統合失調症は、 およそ100人に1人が経験するといわれています。
決して、珍しいものではありません。
はじまりは、 10代後半から30代前半に多いとされます。
原因は、ひとつではありません。
脳のなかで情報を運ぶ物質—— なかでもドーパミンの
はたらきのかたよりが 関わっていると考えられています。
けれど、それだけでもない。
いま広く共有されているのは
「脆弱性ストレスモデル」という考え方です。
もともと持っている敏感さ(脆弱性)と、 そのときの環境やストレス。
そのふたつが重なったところで、 症状というかたちが立ち上がる。
だから——
「育て方が悪かった」 「気持ちが弱いから」
そうした説明は、 現在では否定されています。
どうか、ご自分を責めないでください。
ご家族も、どうか。
そして、 早い時期に手当てが始まったほうが
その後が穏やかになりやすい、 ということも分かってきています。

【まだ、名前がつく前に】
これは、私の願いです。
まだ病院へ行ったことのない方。 診断も、何もついていない方。
けれど、なんとなく—— 何かが、いつもと違う。
眠れない。
音が、やけに耳につく。
人といると、ひどく疲れる。
そういう「種」のような時期が、 たいてい、先にあります。
その時期に、 どうか、休む時間をつくってください。
我慢して、こじらせてからではなく。
からだをゆるめる。 息を深くする。 何もしないで、横になる。
それだけで、 通り過ぎていくものも、あります。
もちろん、 つらさが強くなってきたなら、 迷わず病院へ。
けれど——
病院へ行くほどではないけれど、 何かが、違う。
その、あいだの時間。
そこに、 オステオパシーの居場所があると 思っています。
【治すのではなく】
はじめに、ひとつだけ。
当院は、医療の代わりにはなれません。 診断も、治療も行いません。
お薬のことは、主治医の領域です。
「減らしましょう」とも 「やめましょう」とも申しません。
ひとりで抱えきれなくなったら、 精神科・心療内科へ。
そこは、頼っていい場所です。
私は、そのあとに立っています。
そのうえで、正直に書きます。
統合失調症に、 「治す」という言葉は、
あまり合わないと思っています。
風邪のように、 もとへ戻すものではないから。
その人から切り離せる「病気」というより、 その人の感じ方そのものに、近い。
だから、 消すことはできません。
消さなくて、いいのです。
——ひとつの名前で呼ばれますが、 これまでお会いしてきた方々は、 ひとりずつ、まったく違いました。
ひとつの名前のなかに、 たくさんの人生が入っています。
嵐のとき、屋根は要ります。
けれど、屋根は 雨をしのぐためのもので、 晴れ間をつくるものではありません。
抑えることと、 癒えることは、ちがいます。
抑えるのは、外から。 癒えるのは、内から。
屋根の下で、 すこし静かな時間ができたなら。
そこから先は、からだが知っています。
私は、そこにいます。

【時間をかけて、決めていけます】
誤解のないように、書いておきます。
診断を受けた方のなかには、ご自分でバランスを取りながら
穏やかに暮らしている方が、たくさんいます。
私は、そういう方を 何人も見てきました。
だから、 「一生このまま」とは思っていません。
可能性は、閉じていません。
そして、これも書いておきます。
「主治医と二人三脚で」—— その言い方は、少しちがう気がします。
同じ診断名の人が百人いれば、 引き受け方も、責任の取り方も、 百通りです。
誰かと足を縛って歩くのではありません。
主治医というサポートを受けながら、 あなたが、時間をかけて 決めていけるのです。
ただ、ひとつだけ。
ひとりきりで、急いで決めないこと。
自己判断でやめて、 つらい思いをされた方も、 私は見てきました。
急がなくて、いいのです。
からだが静かになっていくと、 そういう相談ができるくらいの 落ち着きが、出てくることがあります。
そのときに、 ゆっくり、選んでいけば。
私は、 その時間を、となりで待っています。
【抑えこまずに、置いておく】
たとえば、こんなときがありませんか。
頭のなかが、急に速くなる。
考えが、次々わいてくる。
眠れないほど、なにかが満ちてくる。
音が、大きく聞こえる。
感じすぎて、涙が出る。
——それを、「また出た」と呼んで、すぐに抑えこもうとする。
けれど、その勢いそのものは、悪いものではないと思うのです。
行き場がないから、苦しくなる。それだけのこと。
コップの水が増えたとき、水を減らすか、コップを大きくするか。
私がしているのは、後のほうです。
からだがこわばっていると、入る場所が、ありません。
胸がかたい。
みぞおちが、縮んでいる。
あごに、力が入っている。
そこがゆるむと、同じ量が入ってきても、あふれにくくなります。
抑えるのではなく、置いておけるように。治すためではなく、自分を小さくしないで生きるために。
そしていま、社会のかたちも動いています。
働き方が変わり、居場所が変わり、「ふつう」の枠が、ゆるみはじめている。
三十数年前には扉の内側にしかなかった感性が、外へ出ていける時代へ。

【ただゆるむために】
では、実際に何をするのか。正直に言うと、何かをしようとすると防御反応が起きる。わたしは強く押しません。骨を鳴らしません。ぐいぐい伸ばすことも、ありません。
ただ、そっと手を置いて、待っています。頭に。背中に。足に。
かける重さは、5グラム以下。
しばらく待っていると、呼吸が、ふっと深くなる瞬間があります。お腹が鳴ったり。まぶたが、ゆるんだり。
そこから、からだが自分で動きはじめます。
「治そう」と戦うのをやめたとき、からだは、本来のリズムを思い出す。その静かな時間のことを、オステオパシーではスティルネスと呼びます。
眠ってしまって、かまいません。むしろ、眠っていただけたら、うれしいくらいです。
【ご家族の方へ】
ここまで読んでくださった方のなかには、ご本人ではなく、ご家族の方もいらっしゃると思います。——お疲れでしょう。何年も、気を張ってこられたのではないですか。
ひとつだけ。誰のせいでもありません。
けれど、家のなかの緊張は、言葉にしなくても伝わります。いちばん敏感な人が、それを引き受けてしまうことがある。
「なんとかしてあげたい」その気持ちは尊いのですが、その力みが、ときに部屋の空気を硬くします。だから、ご家族がゆるむことにも、意味があるのです。
ご本人より先に、あなたが施術を受けにいらしても構いません。それは、逃げではありません。いちばん近くにいる人の呼吸が深くなることは、それだけで、環境が変わるということです。
【ご来院の前に】
いくつか、実務的なことを。
主治医の先生に、ひとこと。「体をゆるめる施術を受けてみたい」そうお伝えいただけると、安心です。
お話は、しなくても大丈夫です。症状を説明する必要はありません。黙ったままでも、施術は成り立ちます。
途中で、やめて構いません。
「今日はここまで」が、いつでも言えます。
言いにくければ、手を上げるだけでも。
服は、着たままです。ゆったりした服装でいらしてください。
付き添いの方、同室できます。
ひとりが不安なら、そばにいていただいて。
ドアは、閉めなくても構いません。閉じた空間が苦しい方は、開けたままで。
【どうぞ、そのままで】
変わろうとしなくて、いいのです。治そうとしなくて、いいのです。がんばって前向きに、ならなくていいのです。
ただ、来て、横になって、息をしていてくだされば。あとは、からだが勝手にやってくれます。
三十数年、見てきました。人のからだは、思っているよりずっと賢い。私は、その邪魔をしないように手を置いているだけです。
静けさのなかで、なにかがほどけていく。それを、となりで待たせていただく。それが、私のしごとです。

【もう少し、奥へ】
このページに書いたのは、入口までのことです。
もう少し奥——閉鎖病棟で出会った方々のこと。
自我を超えた感性のこと。
これからの時代のこと。
そういったことは、別の場所に書きました。
呼ばれた方だけ、どうぞ。